第三回

on 2014年2月20日 Column

MINI ALBUM『1.5』収録曲について 

2013.11/29にリリースとなった『1.5』の収録曲『僕時代』について思いを綴ってみます。

『僕時代』

この曲はリリースの11/29まで披露しなかった新曲になります。
1.5のレコーディング日の1週間前に、ギリギリできた新曲でした。
この曲はこれからのYKJにとって大きな挑戦を表している曲になります。
つまり、YKJの未来にむけた曲。

今までYKJを応援してくれている人にはもちろんですが、
まだ、YKJを知らない人達に聴いてもらえるような、入り口となるような、
そんな思いも込めて作りました。

とくにイントロや間奏、アウトロに入っているコーラスというかシャウトというか
『wow~wow~』の所。こういったリフのようなコーラスを何度も何度も曲中に入れたのは初めて。
でも、実はこの曲はこの『wow~wow~』からできた曲なんです。
デモテープを作っている段階では『wow~wow~』しか出来ていなくって。
それと同じコード進行からAメロを作って、サビを作ってBメロを作った感じ。
たぶんこの『wow~wow~』ができなかったら、『僕時代』は出来ていなかったと思います。

この叫びにピッタリの曲のテーマを見つけるのに時間がかかって、
レコーディングギリギリになってしまったわけです。
メロディーは出来ていてもそれに合う様な歌詞のテーマがはっきりしない。
こういう曲はものすごく沢山あります。

CDになった曲にも沢山あります。
例えば『はじめの一歩』や『僕の大空』や『ただ、それだけ』、『最愛』。
この子達も、メロディーが先行で、歌詞が固まるまでだいぶ時間がかかりました。
『僕の大空』は人の人生は色々だ~みたいな事を最初に書いていたし、
『最愛』は『引き出し』という恋の芽生えを歌った歌でした。

ちょっと脱線しましたが、
『僕時代』の歌詞の世界は、美術館に行って見つけました。

そんなにしょっちゅう美術館に行っているわけでもなく、
休みができたので行った久しぶりの美術館。

作品を見ている時になんで自分は感動するんだろうと考えました。
目の前にある作品が美しいから?奇麗だから?素晴らしいから?
確かにそういう感動もあるからかもしれないけれど、なんだか納得いかなかった。
自分が何故感動するのか。答えが出ないというか。
本来そんなことは考えなくても自然に楽しむかもしれないけれど。
納得いかないまま、しばらく過ごしていたと思います。

しばらくして僕は、

『この作品を作っている時の作者はどんな状況で、どんな顔で、どんな思いで作ったのか』と考えました。

すると、ものすごい感動が襲って来ました。
作者の苦労や努力を想像すると、胸の奥の方がものすごく熱くなったんです。

どうして僕らは芸術家、歴史上の人物、スポーツ選手etc…に感動したり声援を送ったりするのだろう。
凄いから!というのはあまりにも安易ではないか。と考え。
そうか。自然と感じ取っているんじゃないかと思いました。

口に出す言葉はすごい!奇麗!感動!のようなものかもしれないけれど、
自然と作者や本人の苦労とか努力とかを感じ取っているはずなんだと。
作者や本人が積み重ねた時間、費やした時間、感情。
それらが作品に現れて来ると涙が流れる程、感動する。

このような事から『僕時代』のAメロでは芸術家やスポーツ選手、
歴史上の、過去の人物であり、今もなお僕らの心の中で生き続ける人物達の名前を羅列しました。

それらを受けて今まさに息をしている僕らはどうあるべきかを考えると。

サビの歌詞は一瞬でした。

今はもう会う事のできない人達が残した結晶のようなものは。
僕らにだってきっと作れる。

迷ったり、悩んだり、落ち込んだりすること みんな沢山あると思う
僕だってそうだしみんなそうで、それが当たり前なんだけど

だけど

自分で決めた事 自分で決めた道を
まっすぐ見て 信じて生きて行こう
大丈夫 きっと僕らには出来る 

そんな一曲にしていこうと思いました。

一人でも多くの人にこの曲を伝えたい気持ちです。
そしていつも応援してくれているみんなには
1センチずつでもいいからこの曲が染み込んでくれる事を祈っています。